自分の 『本当の姿』 を知るということは
自分で作り上げた自分にとって一番居心地のいい世界
自己嫌悪や劣等感という ゆりかご から抜け出すこと
「私はダメな人間だから・・・」
「私は弱い人間だから・・・」
このように考えていても
実は ゆりかご の中にいる
それは自分の本当の姿を受け入れていないから
自己嫌悪や劣等感に苦しんでいるとき
同時に
「この苦しみは自分を甘やかさない誠実な心から生まれるのだ」
と考えている
そして
「私はこんな私を許しているわけではない」
と自分を責めながら
「これだけ苦しんでいる私の誠実さを認めてほしい」
と、どこかで考えている
「私はダメな人間」
この言葉は自分の誠実さや正直さの証だろうか?
ちがうね
自分を責める言葉は
自分を甘やかし自分を許してしまう
その言葉からは何も生まれない
そう思っていたからって強くなるわけではない
この事実を知っている私自身
逃げ出してしまった
このゆりかごに足を踏み入れてしまった
助けを求めてしまった
だれかに
「あなたは弱くない」と言わせてしまうように仕向けてしまった
自分を落とすことは
なんて楽なことなんだろう
少しでも不安になると
自分に自信がもてなくなる
または
自信が持てなくなると
不安になるのかな
人間は誰でも関係のなかで生きている
どこかに
「本当の自分」
が隠れているわけではない
「本当の自分」なんてどこにもいない
「本当の自分」は周りの人々との関係の中で
自分自身が作り上げていくものだから
人前では明るく振舞う自分
一人になるとそのテンションが嘘のよう
「本当の自分は明るくなんかない・・・」
じゃあ
人前で明るく振舞っている自分はなんなの?
本当の自分じゃないなら
そこにいるのは誰?
誰が私の身体に入ってるの?
ううん
それも「本当の自分」だよね
「本当の自分」は1人じゃないんだから
全てが「本当の自分」
この事実をすべて認めよう
この事実を再確認したよ
少しだけ自分の道が分からなくなったけど
気持ちが迷子になったけど
これからまた
自分を信じて自分の思うように生きるよ
この生き方この考え方
これが私・・・
だから私を見て
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