『頭が固い』 と言う言葉があります
古い見方に執着し新しい事を受け入れなくなることです
一度思った事に修正がきかなくなり
思い込みが変わらないのです
頭が固いと言う事は
『心が固い』 ということ
自分の考えに固執して新しい情報や他人の意見を吸収できず
外側からの刺激や変化を跳ね返してしまうのです
柔らかければスポンジが水を吸収するかのように
自分の内にそれを取り入れていけます
心が柔らかいと吸収力があり
陶冶性(自分の内面を発達させていく力)が高くなります
年老いてますます円熟味が増すのです
では
【心が柔らかい】 とは具体的にどういうことでしょう?
それは相手の考えや思いを理解することです
相手の事は相手の事として受け入れることです
たとえ自分がそれと異なる思いを持っていたとしてもです
これは相手の考えに従うことではありません
例えば
相手が巨人ファンで自分が阪神ファンだとしても
相手が巨人ファンである事を理解するのです
自分も巨人ファンになる事はないし
相手を阪神ファンにする必要もありません
ただ気持ちをお互いに理解し合うのです
自分は相手と考え方が異なるのに相手の考えに従うと
自分がなくなります
自分の意志が抑圧されてしまいます
自分を抑圧しているといつか溢れだし壊れます
自分の心が死んでしまうのです
相手に従うということは『心が柔らかい』とは根本的に違います
それは相手に対しても言えます
一方的に主義主張を訴えるだけで聞こうともせず
相手の心を殺してしまっては温かい付き合いは出来ません
相手の心が死んで冷たくなっているからです
自分の考えと異なる相手を理解する
理解出来る事が心の柔らかさなのです
では次に
相手と論争になってしまったときを
を考えて見ましょう
論争になると他人事として済まされないことも当然あります
相手を受け入れると自分が損害を被るときです
現実的は利害が対立する場合は交渉するしかありません
なぜ利害が対立するかというと
相手と自分の立場の双方に利と不利が混在しているからです
自分の利益は相手の不利益になり
相手の利益は自分の不利益になります
客観的に見ると双方の利益・不利益の五分五分の地点が見えるのですが
当事者にはこの点はなかなか明確ではありません
どうしても自分の方をひいき目に見るからです
自然に自分の方に利益があるように判断してしまうのです
交渉をするとき
一般的には自分の利点を強調し
相手の不利な点を突くやり方をします
相手も同様のやり方をとります
これでは、なかなか五分五分の一致点が見つかりません
こういうときは相手の利点を認める事から始めてみてください
すると相手は自分は理解されたと感じます
理解してくれる人には信頼感がわきます
信頼感がないと交渉事は発展しません
そしてお互いが自己主張を繰り返す場では信頼は育まれません
相手の主張を受け入れる事から始め
相手の信頼を得ることで
相手もこちらの立場を理解する様になるのです
交渉は理論的なやりとりも必要ですが
心の納得が重要です
心が柔らかいと相手の主張を理解でき
そうするとお互いの心が開かれ
かたくなだった心も柔らかくなるのです
心が柔らかい人は面子にこだわりません
理屈では分かっているのに面子のためにそれを拒否するのは
心がかたくなになっているのです
面子にこだわっていることすら気付かないとき
その人の心は死んでしまいます
誰とも温かい関係をもてなくなります
自分の主張だけを訴え相手を受け入れられないからです
心が死んで冷たくなっている人と心を通わせる事は出来ません
そう誰も心を通わせる事は出来ないのですPR